ちゃんと母親しなきゃ。
ちゃんと社会人しなきゃ。
ちゃんと立派な人間に……。
子どもと過ごすから、
ブログを書くのは子どもが寝た後、または早朝。
でも今日は、いつもの身体となんか違う。
頭も痛いし、鼻も詰まる。
目は「早く閉じたい」と訴えている。
でも、ブログを書きたい。
自分の時間を大切にしたい。
でも……
でも……。
そして、目を閉じた。

その日は一度も起きることなく、
目覚ましで起こされた。
珍しく夜中、子どもに起こされなかった。
(もしくは爆睡して気づかなかったか……)
よく寝たはずなのに、頭はスッキリしない。
もう、やだやだ。
眠気よ、いなくなれ!
もっと「ちゃんと」したいのに。
もっと……。
ところで、「ちゃんと」って何?
辞書によると、
すべきことをきちんと行うさま。
規準にかなって整っているさま。
ぬかりなく。まさしく。
すべきことを、ぬかりなく、きちんと行うこと。
……そんな人間いるの???
なぜ、もっとちゃんとしたいの?
・周りの評価が気になる
・見捨てられたくない
・嫌われたくない
・「すごいね」と思われたい
・子どもにもちゃんとしてほしい
・母親=完璧という固定観念

「子どものため」と言いながら、
本当は自分のためだったのかもしれない。
もちろん、生活を回すために
やるべきことはある。
でもそれ以上に、
私は“視線”を気にしていた。
さらにもうひとつ。

「自分で決めたことを守れない自分になるのは嫌だ」
ブログを書くと決めた。
インスタを続けると決めた。
それなのに寝てしまうのは、
自分への裏切りのように感じる。
過去に三日坊主で終わったことがたくさんあるから、
なおさら敏感になる。
それなのに、また寝てしまった。
翌朝、少し早めに起きて考えた。
もし、私が今日ブログを書かなかったら
誰か困る?
もし、今日ご飯が少し手抜きだったら
世界は崩れる?
もし、眠気に負けたら
私はダメな母親?
……違うよね。
私が「ちゃんと」しなくても、
子どもは今日も笑っていた。

私が「ちゃんと」しなくても、
朝はちゃんと来た。
もしかして「ちゃんと」って、
見捨てられないための
お守りみたいなものだったのかもしれない。

ちゃんとしていれば愛される。
ちゃんとしていれば安心できる。
そう思ってきた。
でも本当は、
ちゃんとしていなくても
もう十分、生きてるだけで必死だった。
私が子どもに伝えたいのは、
「ちゃんとできる人になってほしい」
じゃなくて、
疲れたら休んでいい。
できない日があっていい。
それでも大丈夫。
ってことじゃなかった?
なのに私は、
一番近くにいる自分にだけ
それを許していなかった。

でも。
私は怠けたいわけじゃない。
自分で決めたことを守れない自分になるのは嫌だ。
それに、
私が「まあいっか」を積み重ねたら
子どもも全部「まあいっか」になるんじゃないか、
そんな怖さもある。
でも本当にそうだろうか?
私が休む姿を見せることは、甘やかし?
それとも
自分を大切にする背中を見せること?
ちゃんとすることと、
自分を削ることは、
同じじゃないのかもしれない。

どうしても「ちゃんとできない日」があったときは、
別の日にちゃんとしたらいい。
心と身体の声を聞いて休むことも、大切。
怠けることと、休むことは、きっと違う。
ちゃんとしなきゃ、と思う人ほど
「今日は休む」と決める勇気がいる。
私は昨日、寝た。
でも今日、また書いている。
それでいい。
「ちゃんと」は、
毎日完璧にできることじゃなくて、
できなかった日があっても、また始めることなのかもしれない。
ちゃんとしていれば愛される。
ちゃんとしていれば安心できる。
そう思ってきた。
でもそれって、
もしかしたら
人の評価を気にして生きてきたからなのかもしれない。
そういえば昔、
嫌われる勇気
という本で、
「人の評価を気にして生きる必要はない」
そんなことが書かれていた気がする。
気になる人はこちら↓
『嫌われる勇気』


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